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雑記です

【読了】『万葉秀歌・上』・良かった万葉歌紹介

こんにちは。御室戸斉部のsyamu好きです。最近Twitterを禁じているのでリプとか返せません。ごめんね。さて今回は岩波新書斎藤茂吉著・万葉秀歌を読み了えたので感想を投下します。後半には私的に気に入った和歌を紹介します

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本の形式

万葉集の歌の中で特に注目すべき和歌(長歌は含まれない)を斎藤茂吉が紹介・解説する。上巻には万葉集第7巻くらいまでの歌が入ってました。

 

斎藤茂吉について

斎藤茂吉 - Wikipedia

流石にご存じの方も多いと思いますが斎藤茂吉は大正くらいの歌人の凄い人です。超プロが解説しているので納得して読めます。あと普通に文章がうまい。

 

感想

元来古文に少々の苦手を感じてきた自分でしたがちょっと文法事項を勉強しただけでも普通に読める程度の難易度の本だった(というか和歌一首に対する解説がしっかりしてた)のでそこまで行き詰ることはなく楽しめました。最初著者が斎藤茂吉だと知らずに買ってその後読んでて「なかなか読みやすい文章を書くなあ」と思い著者をみたら斎藤でした。そもそもの買った経緯ですが斉藤孝(こちらも斎藤ですね)の『読書力』内に出てきたので興味を持ったのがきっかけです。関係ないですが斉藤孝は斉藤孝でわりに読みやすい文章を書いているので読んでみることをお勧めします。数冊読むと飽きますが。

さて万葉秀歌ですが、読んでいるうちに和歌に対する審美眼的なものがちょっとついたように思えます。流石に和歌からその歌の作者を当てられるレベルではありませんが和歌の楽しみ方は和歌ったように思いますw

 

秀歌

この項目では私的万葉秀歌を紹介しようと思います。文量的に解説は少なくなりますがお付き合いくださいませ

 

・たまきわる宇治の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野

(たまきわるうじのおおぬにうまなめてあさふますらむそのくさふかぬ)

はい。万葉の時代には野はヌと読んだんですがまあそれはどっちでもよくてこの歌には荘厳な感じと雄大な感じと素朴な感じが同居してますよね。繰り返し誦ずるうちに詠まれた光景が目に浮かんでくるようで感動します。この歌は万葉調を端的に表したいい歌だとおもいます。一首の意味は「(たまきわる)宇治の原っぱに馬をたくさん並べて狩をなさって深い草原の朝露を踏んでいることでしょう」というくらいのものです。しかしよくもまあこんな単純な内容で歌にしたよなという感じですよね。平安くらいまで時代が下ると僕的には割合としては「感動・思い70%、技巧・修辞30%」くらいの割合で和歌を詠んでるかな~という感覚(あくまで個人的な感想)ですが万葉は「感動100%」なのですごく直感的で心に来ます。技巧というか修辞もほぼ枕詞か序詞、体言止めくらいなもので非常に単純です。ありのままなる現実肯定を感じられてとてもよい。

 

・熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかないぬ今はこぎ出でな

(にぎたづにふなのりせんとつきまてばしおもかないぬいまはこぎいでな)

一首の意味は「熟田津の海で船に乗ろうとして月を待っていたら明月もあがり潮も満ちてきたのでさあ漕ぎだそう」くらいです。一見普通の歌なんですがこの「月待てば」の句に注目するとただ明かりが欲しいから月を待っていたのではなくて、潮の満ち引きの周期と月の高度に関係がありなんでもこの夜にちょうど月は満月になり潮は満潮になるらしいです。午後9時くらいでしょうか。光景を想像すればなんとも美しいですね。ため息が出ます。まこと、日本にはこんな美しい光景があったのかと感動したのでこのうたを選びました。というか一首にたいして毎度これくらいの文量をつけていたら終わらないのでもうちょいペースアップします。乃至ここに洩れた和歌は別でブログにまとめるかもしれません

 

・香具山と耳梨山と会ひしとき立ちて見に来し印南国原

(かぐやまとみみなしやまとあいしときたちてみにこしいなみくにはら)

 これは播磨あたりの伝説の中に「香具山と耳成山が女性関係かなんかで争ったときに出雲の阿保大神がそれを止めようとして大和まで向かっい播磨まで来たときに両山が争うのをやめた」というのがあってそれを踏襲して、実際の場所に来て山を見て感動して読んだとされています。印南国原は地名で神様の名前ではないです。「会いし」というのは「相まみえ、対峙し」くらいの意味。この歌はスケールが良いですよね。山が争うという超巨大スケールに圧倒されます。内容もごく単純で、固有名詞が3つも使われていてその簡素さが山のスケールを際立たせて感動を誘います。

 

渡津海の豊旗雲に入日さし今宵の月夜清明けくこそ

(わだつみのとよはたぐもにいりびさしこよいのつくよあきらけくこそ)

一首「海上にある豊旗雲から日光がさしている、この様子では今夜は明月だろう」くらい。この歌はまず読みが定まっておらず、というのも万葉集は万葉仮名で書かれたため読み方がわからん(定まらない)部分が存在します。それで読み方というのは個人によって意見が分かれる部分があるわけですがこんかいの歌では「あきらけくこそ」の部分がそれに該当します。他の読み方としては「すみあかくこそ」「さやにてりこそ」「きよらけくこそ」等等たくさんの説があるとのこと。こんかいの「あきらけくこそ」は賀茂真淵の訓だそうです。この歌からも雄大な自然と単純な推測の美しさが見られますね。また「豊旗雲」というのもどんな雲なのかあまりわかっていないらしいです。どんな雲なのかしらんけどかなり語感がよいので後世の歌人も豊旗雲を詠んでいたり。

 

あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守はみずや君が袖振る

(あかねさすむらさきぬゆきしめぬゆきぬもりはみずやきみがそでふる)

特に理由は無いけどお気に入りです

 

春すぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山

(はるすぎてなつきたるらししろたえのころもほしたりあめのかぐやま)

 この歌は別の訓が小倉百人一首に載ってますよね(「春すぎて夏来にけらし白妙のころも干すちょう天の香具山」)僕はあんまり百人一首を知らんのですがどちらにも良さがあると思ったのでこの歌ものせときます。こっちの訓は「らし」「たり」として語調を整えているところに良さがあると思います。

 

・ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかえり見すれば月かたぶきぬ

この歌は得も言われぬ感動がありますね。「ぬにかぎろいのたつみえて」の部分もだいぶ読み方で古来意見の分かれるものだったそうです。この歌を詠んだのは柿本人麻呂で、万葉第一の歌人と呼ばれています。僕はこの歌は人麻呂の詠んだなかでもトップクラスの歌だと思います。歌の単純な内容と詠むときの人麻呂の視線の追体験の感がどうも全く万葉調で、後代の我々には越えることができないように思えます。

 

いづくにか舟泊すらむ安礼の埼こぎ回みゆきし棚無し小舟

(いづくにかふなはてすらむあれのさきこぎたみゆきしたななしをぶね)

三句目で小休止、結句で体言止めにしてバランスよくまとめ上げているのがすき

 

いざ子どもはやく日本へ大伴の御津の浜松待ち恋つらむ

(いざこどもはやくやまとへおおとものみつのはままつまちこいつらん)

作者のはやる気持ちが感じられてすき

 

人言をしげみ言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川わたる

(ひとごとをしげみこちたみおのがよにいまだわたらぬあさがわわたる)

この歌を詠んだ人の人間関係を解説するのがめんどいのでしませんが「しげみこちたみ」のリズム感と恋人のために朝川をわたる感じがすき

 

小竹の葉はみ山もさやに乱れども我は妹おもう別れ来ぬれば

(ささのははみやまもさやにみだれどもわれはいもおもうわかれきぬれば)

「さ」と「み」でリズムをとっているのはさすがの人麻呂であると思う。すき

 

 

はい。ここまで書いてて思いましたが好きな歌がかなりあるので全部書いたら記事の文量が膨大になっちゃうためここらへんでいったんこの記事は終わりにしておきます。多分またまとめる機会があると思うのでその時にちょっとずつ書いていこうかな。ともかくこの記事を読んで少しでも万葉集の歌に興味を持ってもらえたらと思います。この記事では僕のつたない解説でしたが万葉秀歌にはマジの近現代最高と名高い斎藤茂吉が解説をがっつりのっけてるのできになったら読んでみてください。

 ではまた